中坊と汽車 八高線と川越線3

さらに7月と9月にも川越線・八高線を訪れている。夏は日が長いから、大宮発17時30分の客レ821レの発車を撮影することができた。この頃になると地元の写真屋が長巻を切って安く売っていたトライXを使うことを覚えたので、朝夕の撮影が楽になっていたのである。


    左) 発車を待つ夕方の客車列車の横を貨物列車
    が通過していく。当時は大宮駅でこんな光景が
    見られた。1969年7月





     下左) 入間川鉄橋をゆく貨物列車。ここも
        川越線有名撮影地の一つ。1969年7月

     下右) 川越線の貨物と朝夕の客車列車を牽く
        9600は大宮機関区の所属だった



中学生活も終わりにちかい1970年2月には八高線もすこし足を延ばして、明覚付近まで出かけて撮影。3月6日にも東飯能―金子間の撮影に行っている。思えばこれが中学時代最後の蒸気機関車撮影になるのだが、なぜもっと撮影に出かけなかったのか、いま思えば不思議でならない。時間はたっぷりあったはずなのだが、いったい何をやっていたんだろうねえ。

左上)八高線 明覚~越生間。1970年2月  左下)八高線 東飯能~金子間。1970年2月   右) 八高線 東飯能~金子間。1969年7月

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