さらに7月と9月にも川越線・八高線を訪れている。夏は日が長いから、大宮発17時30分の客レ821レの発車を撮影することができた。この頃になると地元の写真屋が長巻を切って安く売っていたトライXを使うことを覚えたので、朝夕の撮影が楽になっていたのである。
中学生活も終わりにちかい1970年2月には八高線もすこし足を延ばして、明覚付近まで出かけて撮影。3月6日にも東飯能―金子間の撮影に行っている。思えばこれが中学時代最後の蒸気機関車撮影になるのだが、なぜもっと撮影に出かけなかったのか、いま思えば不思議でならない。時間はたっぷりあったはずなのだが、いったい何をやっていたんだろうねえ。