1969年8月、その年の春に大学に入学した従兄とともに、わたしは北海道観光旅行に出かけた。21日間有効、学割8800円の北海道周遊券を使い、宿泊は根室(駅前旅館)と函館(従兄の父親の教え子宅)を除きユースホステルと車中泊という、所謂カニ族だ。ついでに帰りは岩手の親戚の家々をまわってこい、というのが親の指示。
とにかく、北は宗谷岬から、船での知床半島一周、納沙布岬まで、あるいはさまざまな湖など、ほとんどの観光地を巡る、というのが従兄のたてた計画だったが、同行するにあたって、わたしは三つだけ条件を付けさせてもらった。
まず、稚内へは夜行急行「利尻2号」を利用するべし。つまりはC55の牽く列車に乗り、カメラにC55の姿をおさめよう、ということだ。
次に、釧路から雄別鉄道に乗車して終点の雄別炭山まで行くこと。すでにけむりプロの作品に魅了せれていたわたしとしては、もう火は入っていないにせよ、古典機8700をこの目で見ておきたかったのである。
最後に、札幌では自由行動日を一日設けること。ひとりで小樽築港機関区に遊びに行きたい、ということだ。