中坊と汽車 呉線1

まだ夜が明ける前、広島からC62に牽かれてきた列車が小屋浦に着く

遠くまで撮影に行きたい。その思いは日増しに強くなっていった。そして中学2年の春休み、ついに念願の呉線行きに許可がおりた。 狙うはC59とC62。行きも帰りも夜行、という青春時代のわたしの撮影旅行スタイルは、ここに始まる。
とにかく朝早く着いて、小屋浦で5本ある朝の通勤列車と下り急行「音戸2号」をまず撮影。それから安芸川尻―安登間で上り下りの急行「安芸」を狙う、という計画である。

 1969年3月30日、わたしは勇躍、東京発11時10分の急行「霧島・高千穂」に乗り込んだ。春休みだからか混んでいるが、なんとか座れた。広島着は1時10分、14時間の長旅だ。到着は夜明け前というより深夜だが、東京発でこれより遅く着く急行はない。寝台特急「さくら」か「みずほ」ならもっといい時間に着くのだが、そんな贅沢は許されるはずもない。

とまれ、中学生の一人旅だから、周りの乗客にはずいぶん親切にしてもらったものである。おにぎりや蜜柑、煎餅にジュースまでわけてもらい、道中すっかりお腹いっぱいに。弁当代などに小遣いを使わずにすんだのは、ありがたかった。

 さて、定刻通り1時10分に広島到着。呉線の始発は5時13分、まだ4時間あるから、どこか寒くないベンチを探して仮眠をとらなければならない。駅構内をうろうろしていると、鉄道公安官に捕まった。「ボク、何してるの。どこから来た?」
 うわっ。これは初体験だ。慌てて、「東京から呉線のSLを撮りにきました。いまの急行で着いたんで、始発まで座って待つところを探していたところです」
 説明を聞いて無罪放免となったが、暖かい事務所で待ちなさい、などという親切心は持ち合わせていなかったようで、寒い待合室で膝をかかえて朝を待つことになった

 そして4時間ちかく、呉線ホームにあがると、待っていた622レの先頭にはC6216の姿が。もう、疲れも眠気もどこかへ吹っ飛んでしまった。バ、バンザーイ、夢にまでみた、生きてるC62である。

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