その数か月前に常磐線からC62をはじめとする蒸機は姿を消してしまったのだが、休車とはいえ、まだ平機関区にC6249が残っていることを知り、中学1年のわたしは居てもたってもいられなくなった。もちろん函館本線や呉線に行けばまだ走っているのは分かっているが、それらのC62が廃止になる前に自分が撮影に行けるかどうか、まったく想像外だったのである。
「動かない機関車なんか見に行って、どうするんだ」
と親は渋ったが、「磐越東線のD60ももうすぐなくなっちゃうんだ」と、なんとか泣きついて小遣いをせしめると、1968年2月25日、わたしは上野発7時04分の常磐線急行「ときわ1号」に飛び乗った。
急行券が片道300円、乗車券が往復1580円。貰えた小遣いが2000円だったから、帰りは鈍行しか乗れない。平着は10時21分、磐越東線726レの到着が10時31分で、729レの発車が11時02分。
これは平駅で撮影するしかないだろう。なにせ旅行許可の条件に帰宅時間の指定があり(たしか暗くなる前、冬だからそれは無理としても夕食までには帰ってこいというヒドいものだったと記憶している)、
それを守るためには平発12時13分の普通電車に乗らなければならないのだ。
ということは、わずか1時間半のうちに機関区のC62と磐越線のD60を撮らなければならない。交通費を考えるとまったくの無駄だと思うのだが、中学1年生にとって親の命令は「絶対」である。ここで機嫌を損ねたら、後々の撮影遠征にもかかわってくる。
右) 平の扇形庫。左は入換えと磐越東線区間列車
用の9600。右は常磐線貨物用のD51。1968年2月
次へ