私鉄電車のスケッチ

真田・傍陽線 1970年夏 その8

↑傍陽駅。奥が終端側で丸屋根の大きな建物は農協。左の測線の先には貨物ホームがある

 本原で左に分岐して同じく3kmのところに、もう一つの終点・傍陽(そえひ)がある。本原からの平均勾配は18‰以下で、真田方面に比べて急坂は少ない。駅の周囲も真田に比べて傾斜は緩かった。
 駅名は村の名からとったらしく、それも明治になってからの命名だそうだが、どういう由来があるのだろう。何か奥ゆかしさを感じさせる名だ。
 駅の建物もなかなか良い感じだったが、ホームの反対側に白壁の由緒ありそうなお屋敷があったのが、この駅の最大の魅力と言ってよい。

 塀には立派な瓦屋根が乗っており、上部は漆喰の白壁、下部は木で、さらに土台は玉石をセメントで固めてある。痛んでいる箇所が見当たらないことや、貨物ホームに近い部分がブロック塀になっていることからすると、わりと近年に修繕されたもののようだ。

ここも構内は奥行きがあり、両側に貨物ホームがあった(構内図参照)。農協の倉庫が見えているが、このときは野菜などをたくさん出荷している気配はなく、左の側線は客車の留置線として使われていた。


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