わざわざ田舎の電車を撮りに出かけるには、なんといっても「撮りたい電車」が走っているということが第一である。 この当時は、まだ景色の良い電化地方私鉄が結構残っていたはずだが、風景のほうは行ってみなければ分からない。今と違って、1960年代の鉄道雑誌の記事では電車の走る沿線の景観が分かる真が掲載されることは珍しく、 もっぱら車輌の写真しか目にすることができなかったからだ。
貫通扉を塞いだ跡のあるモハ4261 ↑台車のイコライザーが印象的なモハニ4254
↑モハニ4255
真田・傍陽線には、上田温泉電軌時代からのモハニ4250形式が4輌、鶴見臨港から来たモハ4255と4256、 総武>東武という経歴のモハ4261がいた。いずれも昭和一ケタ年代前半の製造で、なかなか好ましいスタイルをしており、貨車を牽いて走ることもあった。由緒ありそうな客車も数輌。これは元飯山鉄道の気動車らしいが、台車の軽快な感じがモハニの重厚さと好対照である。
←(左)真田に留置されていた客車(サハ22か24)
←(中)傍陽に留置されていたサハ21
↓(下)左写真の客車の台車。逸走防止のため
右の車輪に木製の楔が差し込まれている