上の3枚、元画像から単に切り出しただけなのでフレーミングも色調もピントも万全とは言えませんが、元の写真よりはずっと<何を伝えたいか>が
鮮明になっているのではないでしょうか。
素晴らしい場所で、素晴らしい瞬間に出会うと、目に見えるすべてをフィルムにとどめたくなるのは人情ですが、そこをぐっと我慢してマイナス1、マイナス2をする。
それによって、この写真は何を見せたいのかという作者の意図が明確になり、強い印象を持たせることができるのだと思います。
雪の中の蒸気機関車が、印象深く見えるのも同じことです。冠雪している山や田圃は、そうでないときに比べて情報量が極端に低下するので、そこに黒い鉄の塊が煙を吐いていれば、視線はおのずと一点に注がれます。一般に鉄道ファンは曇天や雨を嫌うようですが、ちょうどバックにカーテンが下りているような状態だと、機関車と煙を表現するにはかえって都合がよく、よい写真が撮れたりします。自然条件が、余計な情報をカットしてくれることがあるわけです。
カラー写真の難しさも、そこにあると言えるでしょう。モノクロで撮ったとき良いと思う光景を同じフレームに入れても、色数が多いとごちゃごちゃ収まりが悪くて、落ち着きません。色数は減らせないので、何を引き算するか迷うことになります。
さて、そこで大胆に引き算をすることを考えてみたらどうなるか。背景と周囲の様子、前景といった要素ではなくて、列車そのものを取り除いたら…。「そんなことをやったら鉄道写真にならない」と考える人が、圧倒的に多いだろうとは思います。でも、線路や駅舎、信号機や架線柱があれば、ちゃんと鉄道というカテゴリーに収まっていると思いませんか? もし、表現したいものが、線路の曲がり具合や、古い駅舎のたたずまい、橋脚やトンネルポータルの質感、線路脇の老木の枝ぶりなどだったりしたら、そこに列車が鮮明に写りこむようにフレーミングすると、それが表現したいものを殺してしまうこともあると思いませんか?
念のために書いておきますと、上記のことは今の私が考えていることで、この「線路のある風景」でとりあげた写真を撮影した当時に、このように意図して作画していたわけではないのです。若い頃に出会った鉄道情景のうちで、そこに列車がなくても、どうしても撮っておきたいと思ったときにシャッターを押したもの。何かの都合で、列車が走っている光景は撮れなかったのですが、偶然にも、それが良い結果を生んでいると思われるカットを選んでいるに過ぎません。