橋 その6

森林鉄道の橋 その他(めずらしいもの)

鋼製アーチ橋の例は少なく、大きなものは王滝本線の大鹿淵以外には知られていない。ここは両側がトンネルになっており、鬼淵と同じように枕木の上に板が敷かれ、大鹿ヤードに入るための人道橋としての役割も果たしていた。
 遠山森林鉄道9㎞地点にある、通称「大野の橋」(* 右中)は、木橋時代にたびたび流されたため、災害時に水をかぶっても流出しないよう コンクリート橋として改修された珍しい例である。竣工は1954(昭和29)年で、PSコンクリートによる鉄道橋としては、国の登録有形文化財である信楽線第1大戸川橋梁より僅かに早い。 森林鉄道以外に資材や機械の搬入路がない地形のため、分割したブロックを現場で組上げてからテンションをかける特殊な工法によって施工された。
 右下は、最初から道路橋との併用としてつくられた例。小坂の街中にあるコンクリート橋で、廃線後もこの部分だけレールが撤去できないために残っていた。

 大きなコンクリート橋は、長野局管内では三峰川(浦森林鉄道)にアーチ橋があり、他には高知県などに例があった。高知局大正営林署のコンクリートアーチ橋2箇所は、「魚梁瀬森林鉄道」(RMライブラリー29)に写真がある。
 森林鉄道ならではの特殊な例として、吊り橋がある。秋田営林署では、藤琴川の高岩橋(「全国森林鉄道」41p)、生保内の神の岩橋などが、吊り橋に軌道を通している例である。写真を見ると、普段は上にやや反った状態で、運材列車が通過するときに水平になるように設計されたようだ。

*註=「大野の橋」は遠山川本流を渡る3番目の橋で、建設当初は「第3遠山川」と呼ばれていたようだが、木橋からコンクリート橋への架け替え時点では 「遠山川第四橋梁」という名になっていた。昭和20年代に、梨元の上村川橋梁を「遠山川第一」として、以下「ながとろ」>「第二」、「加々良」>「第三」と 名前を付けなおしたものと思われるが、改称に関する資料は見つかっていない。
上=下流側の河原から見た大鹿淵橋梁。左のトンネルを抜けると大鹿操車場。 中=下流側からみた遠山川「大野の橋」(2005年)。 完成から50年経って河床が上昇しているので、実際に使われていたときは水面からの高さはもっとあった。 右下=小坂森林鉄道の大島川橋梁(廃線後)。対岸が下島温泉方。

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