私鉄電車のスケッチ

        上田交通 真田・傍陽線 1970年夏

 「田舎の電車」を撮りに行ったのは上田の真田・傍陽(そえひ)線が最初だった。何故、行こうと思ったのかは記憶にないが、おそらく雑誌で何か印象的な写真を見たからだろう。前年に丸子線が廃止されたのも、きっかけだったかもしれない。

 丸子線のことは、信越線の車窓から並走する区間を2度ほど見たことしかないので、よく分からないが、残されている写真を見る限りでは、千曲川の長いポニートラス以外に、あまり興味をそそられる場所がない。西丸子線は廃止が早いので、写真もほとんど見たことがなく、もっと分からない。さらに古い青木線というのもあるが、ここは全線が田圃の中の併用軌道であった。
 真田・傍陽線は1972年まで走っていて、風景も素晴らしかったのに、あまり語られることがないようだ。これは過去に公表された写真が限られているのが一因ではないだろうか。走行写真といえば、たいていは神川の橋が紹介される。たしかに立派な橋だけれども、この路線の魅力は、むしろそれ以外の部分にあったのではないかという気がするのである。

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