標津線の始発は、寒々とした濃い霧の立ちこめる中、ときおり防風林らしきものをかすめながら進んでいった。厚床から奥行臼まで一駅で10km以上の距離がある。その次の西別までが、また10km以上。厚床の街を出ると、線路脇には全く人家は見られない。ハクチョウが訪れることで有名な風蓮湖が東にあるはずだが、林の切れ目にその湖畔でも見えないかと期待して目を凝らしても、100m先は真っ白なガスに覆われている。視界のきかない中で、足下から聞こえてくる音で風蓮川の鉄橋を渡っているのがわかる。
6時半、奥行臼駅に降り立ち、1人だけの駅員に軌道のことを尋ねると「もう動いていない」という。ええっ! 3月末まで動いているのではなかったのか。
愕然とするが、とにかく見に行くしかない。角を曲がると、小雨にぬれた道路の向こうに踏切があった。すぐそばにDLが置いてある。線路は雪に埋まり、周囲も歩きにくい。ぐるっとまわって車庫に行くと、一番左の扉が開いていて、バスが置いてあった。
上)無雑作に放り出された貨車は、しばらく前から使われていないようだった。(中)バスの停まる所はきちんと除雪されていたが、その下のレールは泥に埋まっている(下)信号機は両方についているが、遮断機は列車を止めるためのもの
庫内には赤い自走客車と客車が入っている。外には貨車が放置されていて、脱線して雪に突っ込んだ状態のものもある。クレーンの下はレールも一部はがされている。昨日今日、運転をやめたという様子ではない。
ここで丸一日を費やすつもりで、わざわざ厚床の旅館に泊まって始発に乗ってきたのに、すべて徒労に終わってしまった。思えば、事前に別海村へ送った問い合わせの往復ハガキに返事が来なかった時点で、動いていない可能性を考えて電話をしておくべきだった。しかし、そんなことを悔いても始まらない。この状況では、茶内に戻ってもう1日浜中町営軌道を撮るという選択しか、残されていない。ところが、戻る列車は2時間後までないのである。
霧雨が降り続き、寒い。駅前には店もない。撮るべき対象は他に見つからず、ただ列車を待たねばならない。駅の待合室にストーブがあるのが救いだった。無為に時間を過ごすことが耐え難い気がしたので、もう一度外に出て、通り過ぎるバスやトラックと放置されている車両を一緒に画面に収めようと少しやってみるが、なかなか良い絵にならない。
舗装されている道路を、ときおりクルマが高速で走り抜けていく。雪深く、湿原が多くて道路整備の遅れたこの土地も、1970年にはとっくに「クルマの時代」になっていた。原野の中で吹雪に会って道に迷い凍え死んだり、駅から牧場まで村田銃を担いだ熊撃ちが歩いてくる「牧人小屋だより」の世界は、すでにはるか昔のことなのであった。
9時少し前、やっと列車が来た。乗ってしまえば、わずか15分ほどだが、厚床についてからまた20分待たねばならない。霧の中を根室行きの列車がC58に牽かれて入ってきた。こちらが乗るのはキハ08である。珍しい車両なのに写真も撮っていない。貴重な時間を無駄にしてしまったので、一刻も早く茶内に戻りたい。そればかり考えていた。
厚床駅で。霧の中、釧路発根室行きの447レが到着する