標茶町営軌道 4

3月24日 標茶その4

 構内をうろついて撮るものを探していると、やがて事務所の人たちがトロッコに枕木を積んで線路を押していく。保線作業に向かうらしい。彼らに同行して軌道の様子を見て行くかどうか少し迷ったが、どこまで歩くのことになるか分からないので、やめにする。
 奥の停車場のどこかに、もう1両のDLと自走客車、そしてディーゼルロータリーがあるはずだが、それを見るために10kmか20km往復する気力はとてもない。

 昼ごろに駅に戻り、少し歩いて標津線のC11の貨物列車を2本撮影、午後早い列車で釧路に戻ることにする。途中、塘路の駅の近くの丘が線路からずっと見えるので、釧網本線の列車を撮るならあそこがいいだろうなあ、などと考えていたが、C58の列車を撮ろうという意欲はあまりなかった。釧路湿原をゆく蒸気機関車は十分に魅力的だったはずだが、このときの自分の意識は、住む人も少ない湿原の彼方に向かう小さな鉄道の方にあったのである。


 3年後、1974年の秋に友人と「北海道放浪の旅」をした際、標茶の駅で一夜を過ごした。
 駅舎の中で寝ることができなかったので、構内のはずれ、C11が停まっている近くで、ときおり安全弁の吹く音などを聞きながら寝袋にくるまっていたのだが、10月の道東は寒くて眠れない。明け方になって、停留所の跡を見に行くことにした。ここが開運町だというのはすぐに分かったが、もう廃車体などは残っていなかったように記憶している。

手前は釧網本線。当時の標津線には1日3本の貨物列車があった。正午過ぎに標茶に到着する392レは前補機が付いている

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