上田温泉電軌の「北東上田」駅として昭和2年に開業し、上田丸子電鉄時代の昭和30年に
「電鉄上田」駅に改称。44年の丸子線廃止によって会社名が上田交通となったため、
駅名から「電鉄」がとれて「上田」となっていたが、構造は昭和30年の
「電鉄上田」駅新築の際にできあがったもの。
真田傍陽線には車庫が無く、普段は別所線側に移動することもできないので、
ホームの先に2本の留置線がある。手前は「電車のりば」の字がある丸屋根に覆われているが、その下の2本の線路のうち、本社側にはホームが無く
ピットが設けられている。戦前の写真でも同じなので、開業時から右の線路は
留置と点検用だったのだろう。
丸屋根部分から左に延びる差し掛け屋根の下に事務室があり、
閉塞はここで行なっていたはず。待合室もあったような気がするが定かでない。改札口は丸屋根の手前部分にあり、真田傍陽線だけでなく、別所線もこの改札を
通って国鉄の上りホームに出、跨線橋を渡り南側の別所線ホームに行くようになっていた(昭和30年以前は独立した改札は無く国鉄と共用だったらしい)。信越本線の上りホーム北端に接しているが、間に溝があり柵も設けられていて自由には行き来できない。
真田傍陽線は高原野菜などの輸送量も多く、主要な駅には貨物ホームがあった。上田駅では右の線路沿いにホームと上屋があり、線路と反対側は道路でトラックが寄せられる。その手前の線路右手は一段低くなっていて、貨物ホームと本社の間の建物は
2階建てだが、貨物ホーム端の階段を降りたところから2階部分に入れるよう通路が設けられていたので、
この建物も詰所か休憩所などに上田交通が使用していたものと思われる。
1970年夏と71年夏に、かねた一郎が撮影した写真などから作成
構内の写真を見る