クモハ40、72系の廃止の5年後、1983年になると路盤強化が完成して古豪ED16はEF15やEF64に取って代わられることになったが、 そのころは週刊誌の記者・編集者として土曜も日曜もなく飛び回っていたので、鉄道趣味とはとんとご無沙汰となっていた。 唯一かかわっていた羅須地人鉄道協会に関して、糸魚川・東洋活性白土の工場閉鎖はまさに痛恨事だったから、 「ああ、みんな無くなるんだなあ」と、なんとなく冷めた眼で時代の移り変わりを眺めていたのも、事実である。
それはともかく、青梅線で私が好きだったのは御嶽から川井、古里あたりにかけて、貨物列車や古い電車が山肌を縫うように走るさまであり、 石灰石輸送貨物が待機する奥多摩駅の佇まいだ。私には「奥多摩」という駅名にはちょっと違和感があり、やはり「氷川」という旧名がしっくりくる。
小学校のころ、ここからおんぼろバスに揺られて日原鍾乳洞を見学に行ったし、御嶽や軍畑、あるいは鳩ノ巣を起点にした春秋のハイキングのおりに立川から乗る電車が「氷川行」だった。
調べてみると改名は1971年2月1日。
なるほど、八高線の撮影のために立川から拝島まで乗ったのも「氷川行」だったにちがいない。