東京は三多摩地区に生まれ育った私にとって、青梅線はきわめて身近なローカル路線だった。
小学校時代は遠足のハイキングの足としてたびたび利用し、行き帰りは古い電車の車内で級友たちと騒ぎまくったものだし、八高線の蒸機の撮影を始めたころは、拝島でついでにフィルムにおさめることもあった。
蒸気機関車と交錯するさまも面白く、古つわもののED16やクモハ40、72系の電車の古さびた姿は、いかにも好ましかった。
しかし、それだけ日常的な存在だったので、当時、わざわざ青梅線単独の撮影行をくわだてることは、稀だったのである。
高校時代、初めて鉄道雑誌に作品が掲載されたお祝いに、それぞれ缶ビールを1本カメラバッグにしのばせて仲間たちとピクニックがてら出かけたり、新しく買い求めた望遠レンズのテスト撮影の被写体にしたり。
1970年代なかばになって、103系の導入が話題に上るようになって、カメラ散歩に出かけることもあったが、熱心に通うこともなかったのだ。軽便鉄道や森林鉄道、蒸気機関車の消えゆく日々、日常的なものに目を向ける余裕がなかった、と言うべきか。