現在は角館線とつなげられて、鷹ノ巣から角館まで全長94.2㌔の「秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線」となっているが、当時は奥羽本線鷹ノ巣から比立内までの46.0㌔。
阿仁合までは阿仁銅山の鉱石輸送を主眼として1936年までに全通したが、阿仁合―比立内の開通は27年後の1963年。
江戸時代には日本三大銅山と謳われた阿仁鉱山も資源の枯渇により立ち行かなくなり、せっかく線路を敷設したのに廃山。
みぞれの中、学生たちの待つ米内沢駅に列車が到着する
木材輸送はトラック中心に変わり、私が訪れたころは、典型的な赤字ローカル線。いちおう角館まで全通したら「鷹角線」となることは
決まっていたが、雲行きはあやしく、じっさい、1984年には工事が凍結されている。
しかし同じ年に地元が「秋田内陸縦貫鉄道」を設立し、阿仁合線を「秋田内陸北線」、角館線を「秋田内陸南線」と命名。工事も再開し、1989年にめでたく全通している。
阿仁の地はかつてはマタギの里として知られ、江戸時代には遠く中部地方まで熊の胆の行商に出たそうだ。「阿仁マタギ」という駅も設けたことだし、形のいい森吉山なども絡めて、なんとか観光を売り物にしたいところだろう。
それはともかく、あまり期待もせずに阿仁合線を訪問した私だが、いかにも山国ニッポンの東北の原像を見せてくれる情景の数々に、知らず知らずのうちに魅せられてしまった。
列車本数の多い鷹ノ巣―阿仁合間はわずか33㌔と短いが、風景はさまざまに変わり、また東北の人情ともあいまって、こころ豊かな時間を過ごすことができたのである。
また、1973年3月いっぱいで無煙化の予定が、東北へのDE10の増備が遅れたことから、除雪対策のために翌年冬も阿仁合線は蒸機でまかなわなければならないことになり、私は二冬続けて阿仁合線詣をすることになった。
夜の合川駅構内で