腕木式信号機 その4

腕木式信号機   国鉄

 国鉄のローカル線では、1970年代まであちこちに腕木式信号機が残っていた。ただ、小海線などは閉塞は通票を使っているのに信号機は色灯式になっていたし、大都市圏でも八高線や川越線には腕木式が残っていた。信号機の変更は、どういう基準に従って進められたのかよくわからない。
 カーブや切通しなどで見通しが悪い所では、上段左から2番目の画像のように、路盤よりかなり高い場所に置くことがあり、そういう場所がないときには、信号機自体の高さが高いものもあった。また、通常信号機は進行方向に向かって左側に設置するのだが、スペースがない場合は右側で少し高い位置にすることもあった。保守点検作業用の台が付いているもの(上段左端と右端)もある。
 幹線では、60年代にほぼ色灯式への変更と転轍機の電動化が進んでいる。腕木式が複数並んでいる光景、特に下右の3つのように台座に複数が乗っている姿は、60年代半ばを過ぎると、ほとんど見ることができなくなった。下段右端の画像で3つの信号のうち、中央の1つは上が場内信号、下が通過信号である。

上段=左から広尾線広尾、山田線(駅名不詳)、足尾線神土、川越線的場。下段=左から豊肥本線立野(出発信号が線路右側にある例)、長崎本線(駅名不詳、これも背の高い出発信号が線路の右にある)、奥羽本線大館(秋田方の出発信号)、北陸本線津幡。


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