庫はコンクリート製の2線と1線のものが並んでいた。すその広がった六角形の給水塔のほか、かつては東側に高い鉄脚の水タンクがあった。
長い給炭台の端には、私鉄や専用鉄道では珍しい給砂装置が設置され、砂焼き場から線路上を渡ってパイプが延びている。この給砂装置は、かつては給水塔のそばにあった。
1950年代半ばに竹中泰彦氏が撮影された写真(その1枚は『世界の鉄道62年版』に掲載)では、機関庫は木造2線のものだけなので、50年代後半に機関庫の建て替えと一部配線の変更が行われたらしい。おそらく、その折に高い水タンクが撤去され、給砂装置の位置が給水塔脇から給炭台の端に変えられたのだと思われる。