矢ヶ崎変電所は、横川から少し登ったところにある丸山変電所と同時期の建築で、明治44年の碓氷峠電化とともに使用が開始された。にもかかわらず、なぜか話題になることは少なく、私が撮影していた当時から丸山の方が圧倒的に有名だった。その丸山変電所は、いまや国指定の重要文化財となっている。矢ヶ崎の建物が撤去されたのはいつのことかはっきりしないが、JRにある記録では「跡地活用のため撤去」ということだそうである。おそらく、長野新幹線の工事以前ではないかと思われるが、当時はまだ「産業遺産」とか「近代化遺産」という言葉も使われておらず、貴重な文化遺産であるという意識は一般的ではなかったので、無理もない。
しかし、それにしても、である。
矢ヶ崎はすんなりと解体撤去されたのに、丸山は跡地活用のめどがないために放置され、それが結果として手厚く保存されることになったという経緯は、皮肉と言って済ますにはあまりにも口惜しい気がする。いま、横浜の赤煉瓦倉庫が改修工事を経ておしゃれな店の並ぶスペースとして活用されているのを見れば、あの矢ヶ崎の建物を補強・改装して、高原の空気が大きな窓から入ってくるカフェにしようとか、碓氷峠の歴史博物館にしようとかいうアイデアが、しかるべきところから出ていたならば、十分に実現の可能性があったのではないかと思う。同じデザインの丸山が残ったのはまことに喜ばしいことであるが、矢ヶ崎のことは記録もほとんど残されておらず、人々の記憶からも消えつつあるようだ。