明治の残照 2

矢ヶ崎という地名は、近くの山の名に由来している。長野と群馬の県境は信越線と垂直に南北方向に伸びているのだが、 線路の南側に標高差にして200mちょっとのピークがある。一帯は今は西武が買い占めてプリンスホテルと隣接するスキー場になっているが、 かつては東武の根津財閥が山麓のかなりの部分を所有していた。稜線を南にたどれば押立山から八風山、線路を越え北へ向かえば旧碓氷峠に行きつく。
 矢ヶ崎川という川もあって、これは旧軽井沢の町の水源地から別荘地を通って南下し、矢が崎踏切の近くで線路をくぐる。 北側の国道18号沿いには昔はたしか「矢ヶ崎スケートリンク」という名のスケート場があり、観光客の少ない冬季に地元の青少年がよく利用していたようだったが、スケート場が廃業した後は、ふつうの公園になった。

 矢ヶ崎山の一帯は、傾斜がきついこともあって、スキー場とホテルができるまでは別荘地としてもあまり開発されていないところだった。 駅の南西で開発が進んだのに比して、70年代になっても矢ヶ崎踏切は通行量が少なかったように思う。 線路脇に国鉄の官舎が並んでいるだけで、国道沿いにも店がほとんどないような場所だった。 信号所と変電所の建物が手付かずで残っていたのには、そういう事情も幸いしたのだろう。

矢ヶ崎山


国道


上)西側から軽井沢駅を遠望。背後に見えるのが矢ヶ崎山
下)当時の国道18号。道路脇に並んでいるのは国鉄の官舎。
その向こうが信越線の線路で、左手に矢ヶ崎踏切がある

山頂から見た軽井沢駅

矢ヶ崎山の山頂から見下ろした軽井沢駅。右端中央に見えている空き地が矢ヶ崎公園の西のはずれ。 その脇の車庫が草軽交通のバスターミナル。

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