明治の残照 1

明治の残照   忘れられた変電所のこと

それの存在に気づいたのは、いつのことだったか。

 軽井沢駅の東にある矢ヶ崎踏切から碓氷峠のほうを見ると、線路脇左手に煉瓦積みの建物と、その後ろにある白い大きな建物が見えた。 どちらも使われなくなって久しく、夏草に埋もれている。
 アプト式の時代、横川からの66.7‰を登りきって最後の26号トンネルを抜けた列車は、軽井沢駅の手前で減速し、いったん停止していた。 線路の右側に白亜の建物があり、開け放たれた大きな窓の隙間から、その中で立ち働く人の姿が垣間見える。 駅でないところで停まるというのが子ども心に大きな謎だったので、軽井沢の町に住んでいた国鉄の機関士の人に尋ねたことがある。 「信号所だ」という答えであった。なぜ信号所だと停まるのかということは謎のままであったが、いま思えば、 あれは単線区間が終わるところで閉塞の確認をしていたのだろう。機関車のパンタもここで停車中に上げていたのかもしれない。
 その矢ヶ崎信号所は、もう薄汚れて、ガラスもあちこち割れてしまっている。機器類がおいてあったはずの室内は、すべてが撤去されてまっさらになっていた。 かつては転轍機テコや閉塞機、鉄道電話などが置かれて、早朝から深夜まで人々が忙しく働いていたのだろう。 外から見ると二階建てのように見える大きな建物だったが、内部は吹き抜けの広い空間があるだけだった。

 煉瓦の建物のほうは、記録によればアプト時代の最後まで使われていたはずなのに、まったく覚えがない。この建物に興味を持ったのはネガの日付からすると71年のことらしい。 その時点で、どうやって調べたのか定かでないのだが、変電所跡であることは判っていたようで、ネガに「旧変電所」と書いてある。これが、明治が終わり大正になる年、碓氷峠が電化されてEC40が走るようになったときに、線路脇の第三軌条に600Vの電気を供給していた矢ヶ崎変電所の建物なのである。

矢ヶ崎

信号所

信号所内部

 矢ヶ崎踏切から碓氷峠方を見る(上)
 旧矢ヶ崎信号所(中) 信号所内部(下)

トンネル上から

碓氷峠を登りきった列車がトンネルから出たところ、右手に旧矢ヶ崎信号所と旧変電所がある。 アプト時代の旧線は左の下り線とほぼ同じところを通っていた。

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