1971年3月31日をもって井笠鉄道が廃止となった。前年暮れから、井笠、近鉄内部・八王子線、下津井電鉄、頸城鉄道、尾小屋鉄道と、
残された軽便鉄道を撮りまくっていたが、井笠や頸城がなくなると、さすがに胸にポッカリと穴があいたような気分になった。
おまけに高校2年となり、大学受験の重圧も大きくなってきた。結局拒否することになるのだが、家業の医者を継げ、という親の
プレッシャーは厳しく、「そろそろ受験勉強に専念せい」と、撮影行にもいい顔をされなくなっていたのである。
とはいえ、高校2年の夏休みを毎日のように受験準備の予備校通い、ではたまらない。そこで行き帰りは車中2泊の実質1日で行ける
ところはないかと考えていたところ、岩手県は陸中松川に石灰会社の専用線があり、2フィートのトロッコが動いているという情報を得た。
これだ、松川は愛読する宮澤賢治がいちじ働いていたところだし、そんな専用線なんていま行っておかないといつの間にか消えてしまうに違いない。
うまいことに、三つ隣りの千厩は、じつは亡き祖父が生まれ育ったわが一族の本貫の地でもある。なんとか親を口説いて交通費をせしめると、
8月のある日、銀箱に愛機ブロニカS2とニコマートFTNを詰めこみ、スリックの三脚をかついで、夜行急行十和田に飛び乗った。
砂鉄川にかかる橋から木橋が見えた
ダンプが行き交う脇に軌道が
道よりレールに乗せた方が押しやすいのだろうか
調べてみたところ、賢治が勤めていたのは現在(1971年当時)の東北タンカルという会社で、お目当ての松川石灰工業所ではない。
しかし、そんな瑣末なことはどうでもいい。2か月ぶりに乗る夜行列車の揺れは、心楽しいものだった。
早朝の一関で大船渡線に乗り換えること30分、陸中松川駅に着くと、ざんねんながらいまにも降り出しそうなどんよりとした曇り空。
日差しがないぶん涼しいが、写真を撮るには条件がわるい。
でも、情報通り、むこうに見える貨物ホームの上からなにやら細いレールが北のほうに延びている。
工場からいきなり道路に出てくる列車