雄別鉄道といえば、この当時はC11とC56が走っている炭坑鉄道として知られていたが、古典機ファンにはボールドウィンの9046、2両の9200、ノースブリティッシュのコピー品である8700がいたことで有名である。また、この少し前まで、入換え用にはコッペルのCタンクが現役だった。
さらに時代をさかのぼると、大正12(1922)年の開通時にはネルソンの5400とボールドウィンの7200、コッペルのBタンクを準備。その後、コッペルの1C1タンク機3045、9040(*)、9200、B6(従台車を2軸にした2700)、C11、C12、C56(自社発注機)など、のべ30両近くが入線した。
9200のように埠頭線のみで使用された機関車や、側線での入換え専用機もあったが、同じ三菱系列の美唄鉄道や大夕張鉄道に比べても、そのバラエティは際立っている。昭和41(1966)年にDD13を購入しているのも、道内の他の炭坑鉄道に比べてかなり時期が早い。想像をたくましくすれば、この鉄道の車両担当の責任者が、次々に新しい車両を購入して試してみようという気質の持ち主であったのかもしれない。
* 雄別には国鉄払い下げの9045と美唄鉄道から来た9046の2両がおり、形態的には近いが後者は国鉄の9040ではない。入線時に9045と似ているために雄別鉄道で9046という続き番号を付けたもの。元来はボールドウィンがニカラグア国鉄向けに製造したロコで、何らかの理由でメーカーにストックされたていたものが、美唄に来たと推定されている。
8721と8722は汽車会社の製造であるが、機関車研究家として著名な臼井茂信氏は「形態的には輸入品と区別は付けがたい」と述べておられ、車軸など重要な部品に輸入品を使っていたことも知られている。雄別鉄道は、系列の尺別炭坑での事故により経営が悪化し、昭和45(1970)年に突然閉山するが、その頃まで2両の8700は火を落としたまま炭山の機関庫に残っていた。8722は鉄道廃止後も解体を免れ、現在は釧路製作所構内に保存されている。