翌日は朝から東下津井―鷲羽山-琴海と、鷲羽山周辺で撮影。終点の下津井には行かずに、もっぱら丘陵や瀬戸内海をバックに走る軽便電車にレンズを向け、最後は琴海(きんかい)から児島、そして茶屋町まで乗車。姫路21時04分始発の急行「銀河2号」で帰京した。
左) もとは交換可能だった琴海駅は、側線が撤去されて片側だけになっていた。
右) 琴海駅の張り紙。この頃、経営悪化のため駅の無人化が進められた。
下) 海と電車を撮るには琴海付近が最適だった。背景に見えるのは児島の競艇場。
撮影地のあたりには現在、瀬戸大橋に続く自動車道がある。
結論からいえば、「電車は、いまいちだなあ」というのが、当時の正直な感想だった。瀬戸内海の海は美しく、丘陵の中腹を等高線に沿って走る線路も魅力的だったが、どうにも架線柱と架線が苦手だったのだ。それだけの撮影技量がないから、車輛が架線柱とカブってしまったり、パンタグラフが画面からはみ出したり、なんとももどかしい思いをした。
だから、結果として2回行っただけ。ちなみに、東京からいちばん近い軽便鉄道だったにもかかわらず、電化軽便だからということで越後交通栃尾線には足をすら運んでいない。この日、いちばん印象に残っているのは、姫路のホーム上の立ち食いソバ屋でかけソバを啜りながら、「いつもながら、この出汁は独特で旨いなあ。干し貝柱でも使っているのだろうか」と感心したことなのだから、推して知るべし、である。