別海村営軌道 1

3月27日 別海村営軌道

放棄された別海村の牧場。3年後に村の北東部で撮ったもの。ネガがなく古いプリントからスキャンしたので、あまり綺麗でないところはご容赦を

冒頭で触れた「牧人小屋だより」という本の舞台は、別海村と標津町である。著者の周はじめが最初にこの地を訪れたのは1953年だというから、国鉄標津線が完成してから、すでに15年を経ていたことになる。60年代になると「パイロットファーム」事業が始まるが、この時期の根釧台地には、まだ深い森や広大な湿原が何箇所か残っていた。そして、そこに生きる人々もまた、開拓時代の気風を色濃く残していたようである。

 「牧人小屋だより」に登場する人物像は、アイヌの熊撃ち名人種村政造、馬を扱わせたら抜群の大杉甚平、謎の老人カスミオトの爺さんなど、滅法おもしろい。それらの人間と馬、ヒグマ、ヒバリなどの織りなす挿話が、また秀逸である。「三本足の最後」という話などは、ジャック・ロンドンの動物シリーズか「シートン動物記」と比肩しうるほどの作品であると思う。実話でない部分もいろいろあるように思うが、40数年ぶりに読み始めたら、おもしろくてやめられず一気に読んでしまったくらいで、鉄道はまったく出てこないけれど、道東の開拓時代に関心のある方には一読をお勧めしたい。

 厳しい自然の中で、自分の腕一つで生き抜いていく者たちの姿。波乱に満ちた人生を歩み、大酒を飲み、大ぼらを吹き、最後は原野の片隅でひっそりと人生を終える。かつて北海道にはこういう世界があったのだということが、都会育ちの私には非常に魅力的に感じられた。それは、ちょうど、アメリカの西部開拓時代の荒々しい物語が後世の読み手を惹きつけてやまぬことと、同じようなものであろう。

後に新井清彦氏の著作によってかなり詳細が知られるようになったが、当時は別海村営軌道に関する情報がほとんどなく、鉄道雑誌の記事でも、車両以外の施設や風物に触れているものはなかった。特に沿線風景については、「ミルクを飲みに来ませんか」の数枚の写真と奥行臼のイラストが唯一の手がかりだったといってもよい。
 よく注意して読めばある程度は分かったはずだし、ミルクタンク車があるのだから問寒別よりはるかに近代化された鉄道だということぐらいは気づいても良さそうだが、そこは子どもの悲しさである。新しい酪農経営とセットになった施設なのだということは、想像もしていなかった。「別海村にある廃止間近のナロー」というだけで、何か開拓時代の名残に接することができるのではないかと、勝手な想像をふくらませていたのである。

 「ミルクを飲みに…」には、1日6往復の列車があると書いてある。始発で入って途中の学校前あたりで降りれば、ミルクタンクも含めて最低でも6本の走行写真が撮れ、原野の暮らしを垣間見れるはず。それができたら、夕方の列車で厚岸あたりに行って、翌日はのんびり海岸を走るC58でも撮ろう。もし素晴らしい光景があるなら、西別の旅館にでも泊まってもう1日居てもよい。そんなふうに考えていた。


周はじめの「牧人小屋だより」には、本人の撮影した牧場や原野の写真が載っていた(左下)。1950年代の撮影としてはたいそう腕が立つ。後に野鳥の写真家としても名を成し、映画制作などの仕事に携わっただけのことはある。

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