前日15:30に問寒別をたって、滝川発の「狩勝4号」に乗り、6:15釧路着。半日強で500キロ以上の旅をしてきた。標茶までは釧網本線に乗り換えてさらに50キロほどである
朝の釧路。構内では、昇ったばかりの朝陽の中でC58が行き来している。美しい時間帯だ。釧網本線の列車に乗り換えて標茶へと向かう。
塘路や茅沼あたりは、蛇行する釧路川に沿って低い丘が連なり変化に跳んだ景色が見られたが、標茶の駅に降り立つと広い空が印象的だった。雲に覆われた空の下、原野の中に小さな建物がぽつぽつと点在する街である。建物は比較的新しくきれいなものが目立つ。
駅の周辺には、開拓時代の様子を偲ばせる古い建築物が見当たらない。つまり、鉄道を中心にみれば標津線が分岐する重要な位置にあるのだろうが、昔から人の集まるこの地域の中心地だったというわけではなさそうだ。
標茶町営軌道は国鉄の釧網本線とは接続していなかった。昔は標茶駅まで線路が延びていたらしいが、この当時の軌道のターミナル開運町は、国鉄の駅から西に向かうメインストリートを10分か15分歩いたところだった。
駅前の道は、ただ幅が広いだけで舗装されているわけでもなく、両脇に商店が立ち並んでいるわけでもない。
ときおり行き過ぎる自動車を避け、時間を気にして早足で歩いていくと、十字路になっているあたりに軌道の駅があった。「開運町停留所」という杭が立っている。
上御卒別(オソベツ)を7時10分に出た一番列車が、そろそろ到着するはずだ。終点まで乗るか、あるいは途中で降りて走行写真を撮るか……迷っていたのだが、いっこうに列車の来る気配がない。
上オソベツ → 開運町 開運町 → 上オソベツ
7:10 → 8:10 8:50 → 9:50
10:20 → 11:20 15:40 → 16:45
当時のノートに書いてあった時刻。出所不明。
雪に埋もれたターンテーブルの先に4線の機関庫がある。 側面のシャッターが開いたままになっていた。
これが駅名を示す唯一の標識だった。
木の杭に墨で字が書いてある。