遠山森林鉄道 9
信和の土場 客車
河原

上)梨元から少し上流に、もう崩れ落ちている側線の跡があった
右上)信和林業の土場。日曜でもトラックへの積み込み作業をしていた
右下)木沢の保育所の前に置いてあった客車。保育所は立派な「生活センター」になったが、背後の「かまくら商店」はこの時と同じ姿で現存する。ただし、時代を感じさせる「富士ヨット学生服」などの看板は、もうかかっていない

教えてもらった旅館は、貯木場から数百m下流の木沢の集落にあった。床についても、遠山川の瀬音が耳についてなかなか眠れず、翌朝は旅館のおばさんが起こしにくるまで寝坊。遅い朝食をとって出かける。 古いノートには、「庭に古い客車の車体が置いてある保育園では、日曜だというのに客車を先生と子どもたちが掃除していた」とある。その光景を、なぜ撮らなかったのか。狙ったがよいチャンスがなかったのか。まったく記憶がない。
 この日は谷の風物を眺め、のんびりと散策しながら魅力的な光景をフィルムに収めた。線路脇の小さな畑は、事務所のオバチャンが仕事のないときに耕しているらしく、豆の花が咲いていた。 「子供さんたちは神様」という謎の看板がある。「ボンゴ君」が昨日と違う場所に置いてあるので、何か作業をしているのかもしれない。二の瀬の吊り橋を渡って、対岸へ行ってみることにする。

吊り橋を渡る

この旅での遠山谷の印象は、光の記憶と結びついている。それほど、谷は陽光に満ち溢れていた。木々の新芽や花が見せるやわらかい緑。 まぶしいほどの照り返しで目を細めたくなる河原。キラキラと光を反射させながら流れていく川。足元の道床を埋め尽くしたクローバーの群落。 そこを歩いて山に入っていく人。

 そういった光景の一つ一つが、鉄道やそこを走る車両と同じように魅力的だった。そのときの感動は、かつて文章にして「れいろを」に載せたことがある。(「アングラ版 残された森林鉄道を求めて 光る河谷」)



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