降りてくる列車を撮るために急いで移動する。河原から崖を上って線路に戻り、怖い橋を渡る。この橋の下流側は線路脇に大木もあって良い場所なのだが、横に動けないので、どうしても「残された森林鉄道を求めて」のタイトルページ、汽車くらぶのNさんが撮った写真と似た構図になってしまう。しばらく迷って、やはり違うものを撮ろうと思い、少し下流の蛇行地点に行くことにした。
急な谷と川面と列車が画面に収まる場所が見つかった。きれいな石積みも見えている。二の瀬に戻って吊橋と列車を撮ることも考えたが、これも「残された…」に煙管プロのHさんが撮影した良い写真があるし、時間的に余裕がなく、早目に列車が来ると撮り損ねる可能性がある。ここなら3・4カットは撮れそうだと判断し、戻るのを断念。自分では気に入っている写真が撮れたのだが、翌日に吊り橋の対岸に行ってみたら、そこは「やっぱりここで撮った方が良かったか」と気持ちが揺らぐほど良い撮影地だった。
(左)梨元から「ながとろ橋」までの区間は谷の南側斜面を走っているので、ほとんどが日当たりの良いところだが、5kmのカーブには川巾が狭くてあまり光が当たらない場所がある。ここだけ、鬱蒼とした森の中という雰囲気だった。
梨元へ戻る最中、須沢の少し下流でカーブの向こうから子どもの声が聞こえてきた。どうやら学校帰りに遊びながら線路を歩いているらしい。その姿をカメラを意識させずに撮ろうと思い、次のカーブまで戻って線路脇の崖に登って待った。
ところが、いっこうに現れない。道草をしているにしても遅い。まさか、途中で線路から別の道に入ったのだろうか、そんな道はなかったはずだが、と確かめながら歩いていくと、急斜面をたどる小道があり、上の方から子どもの声が聞こえてくる。
隠れて撮ろうなどと考えずに待っていればよかったのだ。後でわかったことだが、集落は線路から標高にして50~150mも上にあり、子どもたちは毎日、線路を4km歩くのにプラスして急坂を上り下りして通学していたのである。
木沢小学校の卒業生と話すと、「運動会では須沢の子には絶対かなわなかった」という話が出る。小学1年から、毎日それだけ歩いているのだから、
無理もない。(ちなみに、森林鉄道の須沢停車場は、須沢の集落より上流に位置していて、その周辺の集落は「上須沢」という。上須沢の人家は
川沿いで線路より下だが、須沢の家と畑は線路よりずっと高いところ、傾斜が30度もある斜面に点在している。)
カーブの向こうから、学校帰りの子どもたちの声が聞こえてきた。線路が通学路なのである