二の瀬を経て梨元へ下る。熊谷組がセメント輸送のために持ってきた機関車が川に転落したため、列車は信和林業の機関車が牽いていた。運材台車に載っているセメントのコンテナは平岡の柳沢鉄工所でつくられたもの
いったん梨元に戻って、運材列車の情報を確かめてから再び奥に向かう。営林署はもう列車を走らせておらず、木を切り出しているのは信和林業という会社で、線路脇にある事務所の杉野さんというオバチャンが電話で列車の運行管理をしているのだった。
梨元の橋を渡る杉野友子さん。写真で橋の手前側にある信和の事務所に勤めていた
午後に運材列車が一往復するというので、歩いてロケハンをすることにした。地図によると終点の柿の島まで6~7kmしかない。 全部見てどこで撮るか決めても間に合うはずだ。どんどん歩いていくと、途中に2箇所、側線のある停車場(中根と須沢)があった。 吊り橋の対岸や、石置き屋根の家がある須沢あたりの雰囲気も気になるが、とにかく先へ進む。
梨元から5kmほどのところに、「鉄道ファン」の記事で見た大きな鉄橋が架かっていた。かなり高い。
そのうえ、けっこう長い。渡り始めて、少し歩いたところで下を見ると、はるか下の急流が見え足がすくむ。いったん引き返す。ちょっと迷ったが、ここを渡らないと終点には行き着けない。靴紐を締めなおし、下を見ず前だけを見るようにして渡り終えた。
橋を渡って大きく左にカーブ、その先で再び大きく右に曲がり、少し進むとそこが終点の柿の島だった。側線には細めの木材を積んだ運材台車が停めてあって、その上をワイヤが対岸に渡してある。作業をしている人は誰も居ない。大きな木の下には古びた宿舎があるけれど、やはり誰も居ない。
そこから先にはまた側線が延びている。転がっているドラム缶や木組みのやぐらの先に、セメントのコンテナを積んだ貨車が置いてあり、線路はそこで切れて道路になっていた。
上) 昭和20年代前半の柿の島停車場と近辺の様子。飯田営林署で作られた五千分の一の図面より。昔から対岸に人家と畑があったことがわかる
右) もう太い材木は運んでいないようだった。柿の島、信和林業の側線