遠山森林鉄道 1

遠山森林鉄道 1973年5月

「汽車くらぶ+煙管プロ」による「残された森林鉄道を求めて」表紙(「鉄道ファン」72年8月号掲載)

文中に登場する地元の方はすべて実名であるが、全員がすでに他界されている。このページの画像のうち、地図と谷の景観は、国土地理院の数値地図200000を利用して「カシミール3D」によって作成した。

1970年代初め、かろうじて残っていた軽便鉄道や専用線の多くが急速に消えて行った。70年に駿遠線と歌登町営軌道が、71年に頚城、井笠、簡易軌道3路線が、 翌年には花巻電鉄と浜中町営軌道が廃止された。73年になるとナローで客扱いをしているところは尾小屋、栃尾線、近鉄、下津井のみ。 専用軌道である程度のスケールがあるのは立山砂防と太平洋炭坑しかない。十代の頃は「ぎんがてつどう」の仲間と一緒に、ナローの鉄道を素材にした 写真集を作りたいという夢を抱いていたので、そのために新たに何か探索をするとすれば、対象はもう森林鉄道しか考えられない状態だった。
 大学に入って最初の撮影行には遠山を選んだ。木曽ではなく遠山にしたのは、一つには「鉄道ファン」の記事に載っていた何枚かの写真が 非常に魅力的であったからだと思う。もう一つの理由は、体もなまっているし、久々の旅に大きいところは避けよう、土日の2日間で撮るには ちょうど手ごろだと考えたからだった。(当時の私は、日曜は営林署の仕事が休みになるということも知らなかったのである。)


 遠山の谷は天竜川から東に、南アルプスの峰々に向かって分け入っている。 上の図は西南から遠山川を俯瞰したところ。左図はさらに接近し、光線状態は5月の朝に設定してある。

5月12日。まだ暗い中、辰野から飯田線始発のがらんとした座席に横になり、平岡までの3時間半くらいをずっと寝て過ごす。何度か目覚めて 窓の外を見ると、深い霧がたちこめていたことをよく覚えている。駅前で遠山に行くバスを探すと、和田行きに乗って終点で乗り換えろと教えられた。 誰が言ったか知らないが「長野県の三大秘境」(残りの2つは秋山郷と開田高原)だけあって、途中の道路は狭いし曲がりくねってほとんど舗装もされていない。 和田での乗り換えにも時間を要し、結局、平岡についてから2時間あまりもかかったような気がする。
 バスは混んでいて、大きな荷物を背負ったお婆さんに席を譲ったら、その後の車中、ほとんど立ちっぱなしだった。 今では、がらがらのバスで和田まで20分、森林鉄道の起点だった梨元までも35分くらいで着いてしまうのだから、30年間に日本の山奥の交通事情が どれほど変化したか、如実にわかる。当時は旅行用のガイドブックにも遠山郷の記事はなく、たしかこのバスは時刻表にも載っていなかった。 とにかく乗って、森林鉄道のあるところはどのバス停で降りればよいかを車掌さんに尋ねて、あとは動いているのを祈るだけ。

次へ