上)70年代後半になると、DF50やDDD54に代わって、山陰線の普通列車はDD51牽引になっていった
話がちょっとそれたようだ。
とにかく、私が京都駅の山陰本線ホームが好きだったのは、まちがいない。そうでなければ、あんなに幾度も訪れることはなかっただろう。
1970年代も後半になると、客車列車の本数はさすがに減っていたが、編成の長いDCの普通列車や急行にもそれなりの味わいがあり、ここで鉄道のすがたを
のんびりと眺め、たまにカメラを向けるというのは、なぜだかとても心地よい時間だった。
大学の卒業旅行は、「鉄道撮影旅行」ではなく、カメラなしの京都・大阪の古寺・庭園めぐりを楽しんだが、毎晩眠る前には、宿舎とした京都タワーホテルの狭い部屋を抜け出して、山陰線のホームで缶ビール片手にぼんやり列車を眺めたものだ。
「DD51も、わるくないじゃない」なんて呟きながら。
その心地よさとは、いったいなんだったのだろうか。新幹線や早くに電化された東海道本線と隣り合わせながら、そこには非電化路線のもつ、そこはかとなくのんびりした空気が流れていたからだろうか。それとも、行き止まりの線路とホームの持つ独特の味わいゆえだったのか。
右)行き止まりの駅ならではの機回し風景。米子区所属のDF50は山陰線の長距離普通列車を牽いて京都駅に現れていたが、70年代後半にDD51が配置されると、九州や四国に転属していった。1976年8月