children in the sunlight 7

車内の子
ホームの子

次へ


良い場所で、良い瞬間に出会えるのは僥倖であるけれども、そこで良い画を残せるかどうかは、まったく偶然というわけでもない。光の加減や、車両と人の重なり具合が良いなと思ってから準備をしたのでは、間に合わないのだ。
 走行写真に決定的瞬間があるように、人間の動作にも「ここぞ」というタイミングがある。そして、立ち歩いたり作業をしているときの人間の動きは、かなり速い。 常に露出と距離を確認しながら、いつでもシャッターが切れる状態にしておく必要がある。ここで切るかどうか、迷った場合はたいてい遅れてしまうので、実際には、最良のシーンがファインダーに見えるよりもほんの僅かだけ早く「撮る」決断をしなければならないことが多い。 つまり、撮りたい人物が次にどういう動きをするか、どんな所作が画になるのか、ある程度は頭の中に描いていないと、その瞬間を逃してしまうのだ。
 そういう流儀で撮るようになったのは、いま考えてみると、少ない時間的余裕と乏しい技術をカバーする苦肉の策だった、ということかもしれない。 国鉄の幹線なら、シャッターチャンスはよほど展望の良い場所でない限り一列車で数回、正味で数秒も無いだろう。狭い構図で「列車がこの位置に来たとき」というふうに決まる場合は、コンマ数秒しかないはずだ。ナローや専用線ならば何倍かチャンスはあるが、それでも一列車で10秒もあることは珍しいと思う。
 それに比べて、駅や機関庫、工場などを探索すれば、動かないもの(ストラクチャーや車両)と動くもの(人間)が、ちょうどよく重なる瞬間がずっとたくさん出現する。「ここは良いところだな」と思ったら、その瞬間を求めて彷徨っていれば、何十分か何時間に1回はチャンスがめぐってくる。
 狙って待っていても、思い通りの画にならないこともあるけれど、それでも、駅のベンチに座ってぼーっとしているよりは、はるかに発見があっておもしろい。なにより、1日かけてシャッターチャンスが正味で1分もないような走りの写真に比べ、同じ時間でフィルム1~2本の対象を見つけることができる。
 少し上の世代では、アトリエSやブルーベルのメンバーなどが、高校生でも見事な走行写真を撮っていたのだから、もし同じような技量や条件があったなら、自分も彼らのような方向に進んでいたかもしれない。
 しかし、そうならなかったのは幸いだった。当時の私は、国鉄蒸気の良質な走行写真を撮れるようになるまで、あと1年か2年の修練と失敗と重ねなければならなかっただろう。70年代初めは、どうしようもなく速いスピードで被写体が消えていく時期だったから、ちゃんと撮れるようになった時点で、撮るものがなくなっていた可能性も高いからだ。